2022年1月10日 (月)

玉柏駅の第1種連動機(昭和57年)

第1種連動機が用いられていた玉柏駅の続編です(前編はこちら です)。

まず、第1連動機のてこ配置の変遷を見ていきます。

古い方の連動図表を再掲します

 

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てこの本数は8本。第1種連動機の図面は、鉄道信号図集(国会図書館デジタルコレクション )で見ることができました。
大正時代の古いものです。コマ番号142「サクスビー聯動機」のページをみますと、リバーは1+8+4+1本の組合せになっています。

図面をみますと一般的な信号てこに比べて床下の構造が複雑で、高い基礎が必要なことがわかります。
信号扱い所は2階にあることが多いので問題にはならないのでしょうが、玉柏駅は後年まで低いホームでしたので、信号てこはホームから2段上がった高い位置に設置されていました。

 

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さて、いつ頃玉柏駅にこの連動機が設置されたのか不明ですが、津山線の開通(明治31年の中国鉄道による)からのものが改修された時とすれば、昭和19年の国有化後でしょうか。

さて、設置当初は
1 場内信号機 岡山方〜2番線 
2 場内信号機 岡山方〜1番線 
3 予備
4 転てつ器・鎖かん及び接触かん
5 転てつ器・鎖かん及び接触かん
6 予備
7 場内信号機 津山方〜1番線 
8 遠方信号機

後に併合閉そくてこが追加されるにあたり、6番が「併合閉そくてこ」に使用されます。

津山線で閉そく区間の併合が行われるようになったのを確認できたのは、昭和31年のダイヤ改正からです。
ただし、このときから併合閉そくてこがあったわけではなく、設けられたのは昭和34年3月の「閉そく区間併合の場合の保安設備について』とした依命通達で、併合閉そくてこの設置が規定された頃かと思われます。

次は、新しい方の連動図表です

 

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てこの配置は、当初
1 場内信号機 A 岡山方〜2番線 B 岡山方〜1番線
2 出発信号機 1番線〜岡山方
3 併合閉そくてこ
4 転てつ器・鎖かん及び接触かん
5 転てつ器・鎖かん及び接触かん
6 出発信号機 A 2番線〜津山方 B 1番線〜津山方
7 場内信号機 津山方〜1番線 
8 遠方信号機

併合閉そくてこは3番に移動。
出発信号機3機の増設で、普通ならてこの数が不足するところですが、A、Bの符号が登場。
「それぞれ1本のてこで操縦されているときの信号機又は入換標識の区別」とのことです(連動図表調整心得 昭和27年6月)。
つまり、信号てこは2ルートを共用して1本ですませ、てこを引きますと進路が開通している方の信号が反位現示になる形です。
第1種電気や電気機ではよくある符号ですが、第1種機械では少なかったと思います。
さらに当駅のような小規模駅での採用は珍しいのではないかと思いますが、連動機の構造上てこ本数の増設が容易でないがための苦肉の策だったのでしょう。

遠方信号機は双線式でしたが、昭和52年(推定)に単灯形の色燈式に改修され8番は空所になりました(前回記事をご覧ください)

ワイヤの引き出し口を見てみましょう(撮影は昭和57年)。

 

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拡大します

 

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コンクリートがまだ新しく、遠方のワイヤが不要になった際に改修されていると思います。
転てつ器へ至る鉄管2本と、信号ワイヤーが各2本ずつ・・信号機は上下方向各3機あるのですがワイヤは3本ずつではないのですね

残念なことに、この先のワイヤを辿った写真がありません。
唯一残っていたのは機械信号の最終日、昭和57年6月18日の夜の津山方、5号転てつ器の撤去前の写真でした。

2番線からの最後の進出列車、674Dの閉そく解除の後、作業があるとのことで同行させていただいたものです。
非番の駅長さんも出て来られました。


もう反位にすることはない転てつ器を、鎖錠金具で鎖錠するところです。
撮影の許可をいただきましたが、まぶしかったものと思います。申し訳ありません。


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撤去予定の×印が痛々しい甲2号連動機や転てつ鎖錠器が見えます。撤去作業に備えてボルトには油が回してあります。

ワイヤは2本・・これは場内と出発用ではなく、出発2ルートの定位・反位双方の照査をしているものと思われます


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こちらの2本は場内と出発用の2本しかみえません。どこかで出発用は分岐していることになるのですがこれでは判明せず・・・

 



お助け画像を発掘!


こちらは同じ津山線の金川駅、自動化工事の写真です。

ここのてこもリバー8本の第1種連動機が用いられていました。
玉柏と異なり、1、2番線とも軌道回路があったようで、場内・出発とも2ルートずつありました。


まず、駅舎内の様子は



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リレーハウス内におかれることの多い補助制御盤が通票閉そく機のあった出窓部分に設置され、閉そく機は移動しています。

 

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津山方です。色灯式信号機がスタンバイです。電気転てつ機が無造作に置かれています。

  


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津山方からです。

転てつかんの向きがちょっと変わっています。トラフの敷設が進み、ワイヤの位置がかえって目立っている感じです。

一番左側は出発用、連動機の2本は信号かんの向きから判断して場内に至っていると思います。

謎解きのヒントは、連動機の本屋側にある装置。連動機につながるワイヤが2本でてくる隅車が、見かけない函に入っているように見えます。

出発用の連動機は

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右側にありました。出発が引かれています。やはり謎の隅車があります。

この画像から、津山方のワイヤ敷設状況を整理してみました。

黄色の丸で囲んだ所に注目です。青線が出発信号機、赤線が場内信号機のワイヤです。

 

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「函入りの隅車」が移動することで2本のワイヤが引かれると、定位・反位いずれかの信号かんのみが動作する機構と思われます。
この「信号選別装置?」の図面は見たことはなく、今回のネガスキャンではじめて発見したものです。

いつものことですが(汗)
「もうちょっと良く見ておけば・・」


  

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玉柏駅から、最後の閉そく扱いの列車が進出します。

閉そく機は運び出され,信号機もあっけなく解体されてしまいました・・・

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信号の自動化が急ピッチで進められていたこの時期、こうした光景が全国至る所でみられたのだと思います。

   

 

 

 

 

2022年1月 9日 (日)

九州の綜合時間表(昭和49年)と長大編成気動車急行


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九州旅行のときにお世話になっていた「時間表」です。「時刻表」ではない古めかしい名称のこの冊子、九州に旅行に行くとすぐ駅売店kioskで入手していました。
コンパクトなのですが使い慣れない仕様で、ちょっと取っ付きにくかったのですが、公社版に載っていないバス路線の情報が貴重でした。

お隣は、弘済出版社の中国・九州版時刻表で,こちらもよく買いました.各線が入り乱れて走る下関−門司−小倉の総合ページがとても便利でした。


さて、今回取り上げるのは、九州内急行の編成表です。
いつもお世話になっておりますf54560zgさんのブログで、

肥前山口駅での分割併合  を詳しく解説していただいたので、この「綜合時間表」で長崎本線関連の編成表を確認してみましたところ、目を引いたのは16号車まである列車です


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昭和49年ですので、まだまだ急行全盛時代です。

こんな長大編成で運転したのならこれまで話題になっていそうです。ですが、このような号車札がささってはいものの途中で分割併合されるため、残念ながら16両で運転した区間はなかったのでした。

下りは博多出発時は「弓張・いなさ」併結の12両編成で、佐賀に到着後、後部に熊本からの「ちくご」4両を併結する前に、「弓張」5両は分割し佐世保に向けて先発。

上りは、というと

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肥前山口に「弓張」が先着、一旦引き上げて?「いなさ・ちくご」の後部に連結するのですが、「ちくご」の方は「いなさ」を置いて先に出発してしまうのでした(残念)。
(昭和50年3月改正で列車名は「出島・弓張・ちくご」に変わります)。

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画像は昭和55年8月、佐賀駅で上り「出島・西九州」(17:21発)を待っているときに進入してきた下り「出島・弓張」です。右手に「ちくご」と思われる車両が写っています。

 

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分割併合を同一駅でおこなうことで、停車時間を短縮する効果もあると思いますが,どうも16両編成で運転するのには、具合が悪い事情があったのでしょう。

理由としてまずホーム有効長を考えたのですが、昔はホームのない所でもドアを開くことがよくありましたので、これだけでは決め手にならないようです。
f54560zgさんのこちら のページを拝見しますと、佐賀駅高架化(昭和51年)以前の古い図面(時期が不明ですが)では、下りホーム長は263mしかありません(1番線有効長は440m)。その後ホームの延長はされていたのでしょうか。

さて、急行形気動車には「長大編成用」の仕様があったとは聞いていました。こうした運用表を見ましても限定運用されていたことが分かります。

 

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(長崎機関区の順序図表、いわゆる横棒です)

自動ブレーキの応答性、ジャンパ線の制御電圧低下の影響で長編成を組むには限界があったようで、Wikiによりますと長大編成対応車は15両23エンジンまで可能になったとのことです(非対応車は11両17エンジンまで)。

この運用表は昭和53年10月改正のものですが、当時の長崎本線の最長は13両。九州地区は2エンジン車が多く、エンジン数にも要注意です。

先述の「出島・弓張・ちくご」の運用は、この長崎機関区順序図表の1組の仕業で読み取れます。最長編成の区間で9両編成となっています。
(この横棒の下の方、一般車の11両編成というのがありますが、これもすごいです)

 

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こちらは弘済会55年4月の時刻表からです。

下から3つ目、305D「出島5号・弓張3号」に乗車したのは昭和55年9月。19エンジンの13両編成。

(博多方の12号車から順に)

門タケ5仕業   キハ58753、キロ28142、キハ65518、キハ58716(ここまで佐世保行弓張3号)

門サキ21仕業  キハ58161、キハ282081

門サキ11仕業 キハ581005、キハ282079

門タケ2仕業   キハ58148、キロ282139、キハ282444、キハ58754(ここまで長崎行出島5号)

島原鉄道      キハ2603(加津佐行・増号車)

撮影は同年8月です。

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鍋島付近だったでしょうか?

 

島原鉄道のキハ26が先頭!を切って、本線を95km/hで爆走する姿には、今思い出してもうっとりしますね(笑)

 

もう一つの13両編成は大分運転所持ちの「西九州・出島」です。

先程の佐賀駅から乗車した編成メモが残っていました。博多方から13~1号車の順で

分オイ4仕業 キハ58120、キハ6513、キハ58247、キハ282363、キロ2842、キハ58558(長崎ー博多)

分オイ21仕業 キハ58605、キハ282016  (長崎ー別府)

分オイ11仕業 キハ581141、キハ6523、キハ282445、キロ28118、キハ581017(佐世保ー別府)

こちらも13両の19エンジンです。


Web上では、島鉄のキハ26が2両で乗り入れていた画像があったのですが、多客時の増結は容易ではなかったものと想像します。

 

島鉄キハ26は冷房,エアサス台車などでも有名でしたが、さらに長大編成を組むためにKE67ジャンパ連結器を装備し、DAEブレーキにも対応していたのでした。

 

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これがそのジャンパ線だと思います。
 

 

当時はそこまで考えることもなく、エンジン音だけを楽しんでいたのですが、現場の運用面の苦労にも、もっと思いを馳せておけば良かったと思います。  

 

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2022年1月 8日 (土)

玉柏駅連動図表と信号てこ(昭和57年)

ちょっと変わったものが出てきました。

いただきものですが、「玉柏駅連動図表」昭和47年2月17日・・とあります。

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最初の日付けに「改正」の文字はないのですが、何度も修正を重ねてきた図面のようです。


 
津山線はCTC化に伴い昭和57年6月に単線自動閉そく化されました。玉柏駅の機械連動は同年6月18日限りで撤去され、棒線駅となりましたが、それまではこの連動図表のようであったようです。

てこの番号に、1A 1Bなどとあり、ちょっと見慣れない雰囲気です。
 
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昭和57年6月に撮影した信号てこ群、第1種連動機です。
 
一般に見かける信号てこの形状ではなく、2階建の信号扱い所に並んでいるようなリバーが用いられています。このタイプを目の前で見ることはあまりなく、新鮮な光景でした。
 
48形でしょうか?成書でよく名前を聞くサクスビー連動機との違いが分かりません・・・(汗)
同様の例は加古川線でも見ることができましたね。

 
上り「砂丘」が通過します。
 
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運転席から挙手の礼で通過
 
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因美線とは異なり津山線の各駅には通過信号機が設置されておらず、通過手信号による取扱でした。
当駅の出面は当務駅長1名のみです(乗車券等の発売はしていませんでした)。
 
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通過手信号現示位置を示す表示があります。
フライ旗と合図灯を掲出する手作りのホルダーがホームの柱に取り付けられていました。当務駅長さんが通過監視するのですが担当者によってはこれを使わず、左手で手信号現示しながら右手で挙手の礼をなさる方もいらっしゃいました。
先程の画像もそうしたシーンです。 
 

 
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信号てこは、ホームから2段上がった高い位置にありました。てこは集中ですが、第2種連動機が設置されています。この連動図では「第1種機械丙」との記載です。「丙」に関しては、軌道回路が作図後に追加されたため、以前の記述が残っているのかもしれませんが、後述しますように1Tは作図当初からあった可能性があり、疑問点としては残ります。
 
この図の作成は局の担当課?と思われます。
現地に掲出されてから何度か設備の改修を経ており、その都度紙を貼ってマジックなどで加筆修正されています。
書き込まれている改正日付は

「昭和47年2月17日」
「51・3・23改正」
「52・3・25改正」
ですが、これらはマジックで書き込まれたようで、この連動図表が最初に作られた時期はそれより前のことと思われます。
 
こうなると、その時期と改修前の様子が気になるのです・・
 
連動図表を新調した機会となった改修として、まず、併合閉そくてこ3の存在を考えました。
津山線の併合閉そくは昭和31年11月改正の列車ダイヤから見られ、適用列車3本が登場します。
この連動図が作成される前の図を見てみますと、すでに併合てこが追加して記載されておりました。
 
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これも、いつ頃のものかわかりません・・
この頃は出発信号機がなかったのですね。
かつて、当駅のような地方線区の中間駅では出発信号機のないところも多かったのですが、出発信号機にもATS地上子を設置するため、それまでなかった駅にも順次出発信号機が整備されてきていました。
ATSの全線整備完了は昭和41年4月のことですので、出発信号機の設置は遅くともそれ以前のことになります。
 
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今回ご紹介の連動図表は、その出発信号機が設置された時点で作成されたものと思われますが、一体いつだったのでしょうか⁇
 
さて、図面をよくみますと併合閉そくてこ3のシンボル(←┯→)と文字がかすれており、烏口ではない別のペンで記入しように見受けられます。1Tに対する軌道回路両端の記号[  ]もかすれていますが、4T、5Tが追加された際に[ の端は削って消されたようです。
連動図表に記載されるべき「併合閉そくてこ」のシンボルですが、
JISの「E3012-1961 鉄道信号用図式記号」
が出ている文献(手元にあるのは昭和38年8月発行の「信号保安関係法規便覧」です)では見当たらず、
「JRS20000-2A-14AR6 電気用図記号および文字記号」(昭和41年12年制定)
には出てきますので、昭和36年から41年の間に規定されたのだと思います。
そこで、当初、配線略図に併合閉そくてこの記号は記入されずに作図され、昭和41年に記号が制定されたため、1Tの設置の際に「かすれたインク」 で書き加えられたものと推定しました。
それ以降の連動図表の改正内容を、以下のように整理してみました。
ーーーーーー
 
(1)軌道回路1Tの設置
あるいは、出発信号機が設置された当初からあったのかもしれませんが・・
 
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もともと鎖錠らんだった所に記入され、後で消された「1T」の痕跡があります。その字体は他の文字と異なっていますので、作図後の追加事項なのだと思います。
 
(2) 貨物側線の撤去
図の修正の状況からみて、21号転てつ器撤去の後に4Tが追加されたようですので、貨物側線の撤去は一連の改修の初期に行われたと考えました。軌道回路境界の ]は修正より前に描かれていたように見えます。
当駅の貨物営業の廃止は昭和37年3月(Wikiによる)とのことです。
連動表の一番下の行から、転てつ器「21」が抹消されています。

 
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(3) てっさ鎖錠を、軌道回路によるものに変更
かつては4、5号転てつ器に鎖かん及び接触かんがあったのですが廃止され、軌道回路4T,5Tが設置され
連動表名称らんの「転てつ器及び鎖かん及び接触かん」が「転てつ器」へ修正されます。
また、「信号制御又はてっさ鎖錠」らんが追加されています(1Tの文字は左に書き直し)。
配線図のさ鎖かんと接触かんは砂消しゴム?で抹消、新たに軌道回路の紙が貼られ、
下り本線
 ー[ーー(下り本線)ーー]ー   は
 ー│ーー(下り本線)ーー│ー
になるなどの変化が見られます。
 
(4) 遠方信号機の色灯化
 信号てこは不要になり、連動表の下から2行目、遠方信号機8も抹消されました。遠方信号機の建植位置は色灯化で移動したようです。修正した紙を透かしますと以前のキロ程が読み取れました。
 改修後は単灯形の遠方信号機となり、コンクリート柱による建植でした。
 
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(5) ホームの延長

 画像では見えませんが鉛筆書きで
「53.12.15.(ホーム)」
 との記入があり、これは津山方へのホーム延長と旅客通路の設置が行われた時と思います。図でもホーム有効長が修正されています。
 

 
さて、こうして書いてみても文字だけではよくわかりませんね・・
そこで、当初の作図時点での連動図表を書き起こしてみました。
出発信号機が設置され、軌道回路1Tがある時期と仮定したものです(一応、昭和40年頃としておきます)。
原図では「第1種機械丙」ですが、「乙」が正しいかもしれません。1Tが「信号機の信号現示が一部の軌道回路により制御されるもの」に当たらないと解釈するなら「丙」になるのでしょうか。
例によって怪しい所もあるかと思いますがご容赦ください(汗)
 
 
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こんな感じでしょうか・・
自動化前の玉柏駅、まだ見どころ?がありそうですね。今となっては、信号ワイヤーの取り回しが気になります。
辛うじて写っていた「地面」の画像や疑問点などが続々と出てきましたので、続編にて取り上げたいと思います。
 
 
(2022年1月10日 一部修正しました)
 
 

2022年1月 3日 (月)

中津から野路 車内片道乗車(昭和50年)とスタフ閉塞

明けましておめでとうございます。

相変わらずのスローペース更新ですが、本年もよろしくお願い申し上げます。

 

新年早々ですが、うちのMacからのログインが出来ず・・(泣)代打のiPadからのエントリーです。

 

昭和50年8月に発行された大分交通の車内片道乗車券です。

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この年の5月に国鉄中津駅上り線は高架化しており、大分交通線は地上に取り残された状態になっていました。

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高架を背景に出発してくるキハ601「やまびこ」です。

 

この後、野路を往復してから助役さんから頂いた列車運行図表によれば17列車なので、大貞公園止まりのはずです。

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わら半紙に謄写版印刷でしょうか?インクは青色です。

数十年ぶりに出てきたもので、よれよれになってしまいました。伝統も感じるとても味のある一品・・

 

改めて見てみますと朝の時間帯は結構タイトな列車ダイヤです。17列車に対する単独の折り返し列車はなく、併結して戻ってきたようですが、その作業時間が

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大貞公園の折り返し時間は2分しかないのです。到着車両のいる下りホームに直接18列車を進入させたものと思いますが、場内信号機は引いたのでしょうか?どこから誘導したのか、この列車に乗って見ておけばよかったですね。

重連の写真がありません。中津到着後すぐ切り離されたのでしょうが、総括制御はできませんので、ブザー合図による協調運転だったものと思います。ブレーキの貫通も謎のまま・・

乗車したのは、次の19列車でした。

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運転席の前に、銀色の棒状のものが差し込まれています。

耶馬溪線の部分廃止(昭和46年10月)以後、閉塞方式は「スタフ閉塞式」になったようで、中津ー大貞公園間が○、大貞公園ー野路間は□で、大貞公園ではスタフ交換が行われてました。

お願いして、スタフの刻印が見えるようにしていただきました。

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ーーー

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中津に戻ってきました。

 

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中津駅に残っていたタブレット閉塞機です。連絡用とのことでしたので、これは閉塞専用電話として使われていたようです。 

 

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21列車からキハ102「かわせみ」に交代しました。助役さんの合図を受け、発車の笛が鳴ります。

 

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23列車が野路を目指します。場内信号機が見えないのが残念

 

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耶馬溪線はこの年の10月に廃止されてしましましたが、このキハ603「かじか」号には、のちに紀州鉄道で再会することになります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2021年9月11日 (土)

昭和49年の大分駅配線図と1番線出発信号機など

以前、「自動閉そく区間から分岐する、1区間だけ通票を持たない区間」

について取り上げたことがありました。

子どもの頃から興味深く思っていたのが、今日ご紹介する大分駅です。

ご承知の通り、日豊本線から久大・豊肥本線が分岐するジャンクションですが、

小生が訪れ始めた昭和48年頃からよく乗った豊肥本線は、大分から1区間(下郡信号場まで)は既に電化されていて単線自動区間でした。さらに下郡ー中判田間は連査閉そく式で2区間通票を持ちませんでしたので、当時から興味深く思っておりました(当時、滝尾は棒線駅で敷戸は未開業です)。

昭和55年10月改正の列車ダイヤがありましたので、閉そく方式欄を見てみます。

 

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久大本線は向之原ー大分間が「T」で連査閉そく式、豊肥本線は中判田ー下郡(信)間が「T」、下郡(信)ー大分間が「A」単線自動閉そく式です。

下郡は電車区に出入区するための信号場で、本線から分岐するだけのシンプルな配線。熊本方への列車は全て通過ですが通票授受がなく、通過監視は信号扱い所(2階)の出窓から行うのみで楽(失礼)だったと思われます。

一方、久大本線側も1区間(向之原ー大分間)通票を持っていませんでした。

 

次にご紹介する配線図は昭和49年、子どもの頃のいただきもの

「日豊本線 架線範囲図 及び 信号機位置図」S49.6(大分 鹿児島鉄道管理局列車課)

に掲載されている図です。

 

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この資料には新田原−南宮崎間が収載されており、日豊本線南宮崎電化にあわせた自動化(CTC化)に際して作成されたもののようです。

豊肥、久大本線への出発ルートが多数あるのがわかります。

 

Photo_20210905233601

 

ずっと乗る機会がなかったのですが、ある日、日中に時間ができましたので一区間だけ乗ってみることにしました。昭和59年1月2日のことですので、配線図の時期から10年後になります。

列車は当駅始発。豊肥・久大線ホーム(9, 10番線)からではなく、改札前の1番線からの発車でした。

当日はこのあと撮影主目的の列車があったためか、この列車にはほとんどフィルムを使っていません。

1番線の出発信号機(15RU・V)に添装された進路表示機は” ┌ ”右の進路で、久大本線を示しています(ご紹介した配線図には、進路表示機の記載はありません)。保留の信号機ですが、自動A区間の熊本方への進出ルートも保留なのでしょうか。

大分駅の信号扱所は意外なことに豊肥・久大線ホームにあります。通票閉そく式時代はここに通票閉そく機もあったと想像しますが、豊肥・久大線は別府への直通列車など別ホームからの発着例も多かったことから、通票の扱いをなくすメリットは大きかったものと思います。

ちなみに、高架化後の様子は

Photo_20210911204101

 

2019年1月の撮影です。漢字による進路表示で「日」「肥」「久」のようです。中通路線の表示を見ることができませんでした。

 

さて、昭和に戻って、

 

5510

  

昭和59年のものがありませんので、乗車列車に該当する部分の55-10ダイヤで見てみます。

12:28発の634D、キハ5815[分オイ]でした。乗車した時と時刻は変わっていません。

久大本線発着の列車のうち、10番線以外の着発はダイヤ上に番線が記入されているようです。ダイヤにある(予定臨2本含む)26本中12本が10番線以外の着発で、1番線着発は4本ありました。

 

634d

 

向之原に到着した列車です。5分遅れで到着(遅れの原因はメモがなく不明)

外見上は自動区間と変わらないな〜

と思いながら、急いで駅前に止まっていた大分バスで戻りましたが、何と!この直前の昭和58年11月に既に自動化されていたことが、この記事を書いていて判明しました(信号保安 39(6) 1984による)。

訪問時の観察力が足りなかったことになります(大汗)

よく見ておけば、向之原で通票が渡されず久留米方の出発信号機に通票携帯標の表示がないことや、運転士の運転時刻表に通票種別が記載されていないことに気づいたはずなのですが、到着後あわてて本屋側にわたって写真撮影にいそしんでいたようで・・

向之原は以前から継電(色灯式信号機)でしたので、余り景色は変わっていないと思います。

間違いでした。昭和57年に腕木信号機が写っている画像をWebで見つけました。自動化に際して継電化されたようです(中判田と混同しておりました。訂正します)。

 

自動化のため閉そく機は撤去され制御盤は交換、CTC化までは本屋内に仮置きされた補助制御盤を使っていたのだとも思いますが、チェック漏れ・・

 

写真を見ますと、CTC化に備えて跨線橋の工事が進んでいるようでした。

ひまわりを描いた「トキワ」の紙袋が懐かしいです・・

 

久大本線の天ヶ瀬ー大分間のCTC化はこの撮影のすぐあと、昭和59年1月20日のことでした。

ーーー

さて、こちらは「主目的?」の列車。

1033

 

下郡ー高城間の荷1033列車です。オハフ50が1両繋がっています。

この列車は佐伯ー宮崎間で旅客扱いするため、大分からこの編成でした。時刻表には急行荷物列車としても掲載されていました。

103319839p251253 

 

少し前の昭和58年9月の交通公社時刻表 251, 253頁です。

荷物列車欄の停車駅は、大分、佐志生、日代、佐伯、直川、重岡、北川、延岡、宮崎で、佐伯からは普通列車として各駅に停車しています。

荷物列車欄は荷扱を行う駅のみ掲載しているのだと思いますが、急行を名乗る割に臼杵、津久見が通過で佐志生、日代などに停車・・は夕刊輸送のためでしょうか??

対になる荷1032列車も同じ停車駅なので、新聞とは関係ない気もします。

 

1033_20210905233701

 

特急で後を追いましたが乗車できたのは延岡からですので、肝心の延岡までの状況は不明です(汗)。

オハフ50260[分オイ]、牽引機はED7668[大]でした。

こうした「荷物列車で1両だけ客扱い」のケースは九州では鹿児島本線の荷2038列車(川内ー八代間)にもありました。八代到着が1:05となり夜行折返しに愛用?していたものです。

 

    By 3RT生

 

(2021年12月30日追記)誤りがありましたので、訂正しました。

 

 

 

 

 

 

 

 

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