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2017年4月17日 (月)

立野駅連動図表(昭和56年)

九州編の続きですが,今度は信号です.

昭和56年にいただきました,立野駅の連動図表(一部)です.

巻物ですので旅行カバンには入りませんでした...


Photo

 
 
この図面は青焼きで,経年により黄ばんでおり判読もしにくくなっています.
(こういうものは早くスキャンしておかねばなりませんね)

豊肥本線は通票閉そく式でしたが信号機は早くから色灯式になっていて,子どもの頃は写真写りが悪いなーなどど,フトドキなことを思っておりました.

高森線でC12の牽く混合列車には乗っていますが,豊肥本線は昭和47年に無煙化されましたので,スイッチバック側の写真はありませんでした.

学生になってDE10の貨物列車などのスイッチバックを見にきたとき,気になることがありました.

(ポイントのところで動いている変なものはなん?)

「てっさかん」というそうです.

管理局で資料をいただきました.

Photo_2
 
 

何しろ構内なので写真がありません.

最近,信号関係を詳述されたサイトで,てっさかんの画像や動画を拝見して復習したところです.
「てっさかん」とは、レールの外側にあるプレートがあがって車両がいないことを照査するもので,その間に転てつ器が転換されます.「デテクターバー」の用語の方をよく聞きます.

立野では,意外なことに上下列車が交叉するシーサス部分は軌道回路がなく.このてっさかんがその代わりをしていたわけです.

連動図表には「鎖桿」と記載されております.てっさかんに鎖錠器を付したものだそうです.


詳しくはないので,詳細については検討できておりません...(汗)
(7だけ電気鎖錠器つきなんですが...)


ところが翌年,意外なところで「てっさかん」を見ることができました.

次回にでも紹介したいと思います.






この地が、あの未曾有の災害で甚大な被害を受けるとは思いもよらないことでした。

穏やかな生活と風景が早く戻ることを願うばかりです。



 
 
 


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4.信号・配線」カテゴリの記事

コメント

いちも拙ブログにコメントいただきありがとうございます。
また、貴重な資料をありがとうございます。
その2の記事にコメントができなさそうでしたのでこちらに書かせていただきました(汗)。
一点だけ確認させていただきたいのですが、立野方の入標が写っている写真ですが、C12がいるのは上り本線では? つまり入標は20Cではないでしょうか?
今後も楽しい記事を期待しております。

f54560zg様、こんばんは。
こちらこそいつもありがとうございます。
久しぶりにブログ再開し、設定を誤っており申し訳ありませんでした。

お尋ねのC12が停まっている場所ですが、C12は熊本方を向いてましたからご指摘の通りですね。あまりに寂れたホームと右側が開けていたため、高森線ホームと勘違いしておりました。ご指摘ありがとうございます。記事を修正させていただきました。

高森方には入標がないのですが、旅客の乗車した車両の入換作業をしていたのでしょうか。
さらには、立野で切り離した前補機の動向は?・・謎がまた、深まりました。
今後ともよろしくお願い申し上げます。

こんばんは。
たびたび失礼します。

ご存知とは思いますが第2種連動では基本的には入換標識は設けられません。しかし一方では入換標識を設置する例の一つとして「旅客の乗車した車両の入換作業を行う場合」という文献の記述も存在しますよね。
私の知る範囲では(大して知らないのですが(汗))、第2種連動の駅で入換標識が設けられていたのは蓮町駅と郡家駅だけでした。
蓮町駅は貨車の本線横断のためだと思われますが、郡家駅はよくわかりません。ひょっとしたら若桜線列車の分割が行われていたのかもしれません。
高森駅の場合は入換標識を設けずに旅客の乗車した車両の入換が行われていたようですね。

こんばんは。コメントありがとうございます。
あれから、ウェブ上で立野駅高森方の画像を探しておりましたが、継電化後の昭和42年の画像には入標はありませんでした。第2種継電なので、無いと考えるのが妥当ですね。
1727列車の入換手順が推定の通りなら、入標なしで引き上げていたことになります。入換ルートは電気鎖錠器付きの転てつ機のみですので、「リバーに木片を挿入」して鎖錠できたと思います。
継電化以前、高森方への出発信号機は設けられていなかったようで、電気鎖錠器付きのてこが1つだけ(上り1番線場内信号機と思われます)写っている写真がありました。出発信号機の設置は、昭和41年のATS全線整備に際し、継電化により行われたのではないでしょうか。
また昭和36年の画像では大分方の転向線に腕木式信号機が見られ、当然15号転てつ機も手動であったと考えられますが、さすがに東部てこ扱い所から操作していたとは考えにくいかと思います。近くにもう一つ、てこ扱い所があったのか?とも思います。

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